昨日の自分より今の自分
小林麻美の素敵な時の重ね方 vol.02

昨年行われた第1回目に続き、新年明けた1月末、日本服飾文化振興財団の評議員 小林麻美さんによる「昨日の自分より今の自分 小林麻美の素敵な時の重ね方」と題したセミナーの第2回目が開催されました。今回のテーマは、小林さんが愛する〈イヴ・サンローラン〉について。マリ・クレール編集長の田居克人さんをお招きして、対談形式で行われたセミナーの模様をここにお届けします。

Photo : Takeshi Wakabayashi, Noriyuki Hata(Show Look)
Text : Yuichiro Tsuji

〈イヴ・サンローラン〉の魅力は上品さ、際どさ、紙一重の魅力。

ー小林さん、田居さん、本日はよろしくお願いします。まずは一言、ご挨拶をお願いできますでしょうか。

小林:こんばんは。今日は寒いなかご来場いただき、ありがとうございます。今回は〈イヴ・サンローラン〉の興味深い話をたくさん伺えたらと思っています。よろしくお願いします。

田居:『マリ・クレール』の田居と申します。今回はお招きいただきありがとうございます。サンローランの公私にわたるパートナーであるピエール・ベルジェという方がいらして、ぼくは彼の本を執筆したことがありました。今回は是非ピエール氏のお話も混ぜながらトークさせていただければと思います。よろしくお願いします。

ーまずはじめに、小林さんが〈イヴ・サンローラン〉を好きな理由を教えてください。

小林:どんなに際どい服でも下品にならずに、品よく見える。危ういまでの際どさというか、紙一重で上品さを保つところがこのブランドの服の好きなところなんです。18歳のときだったと思いますが、映画を見て、そのなかで女優さんが着ていた衣装がとても素敵で、それが〈イヴ・サンローラン〉だったというのが出会いです。〈イヴ・サンローラン〉がとても好きな知人の影響を受け、お店に連れていってもらって、背伸びし過ぎかなあと思いながらもどんどん引き込まれていきました。

小林:私は身長が高かったので日本の服のサイズが中々合わなかったのですが、〈イヴ・サンローラン〉はどこも直さずに着られました。自分の体型に合っていたというのも、惹かれた理由のひとつです。

ー一昨年のことになりますが、小林さんが寄贈してくださった〈イヴ・サンローラン〉のヴィンテージと現代の服を組み合わせてファッションショーを行いました。その画像を振り返りながらお話をしていただきます。

小林:日本服飾文化振興財団の関係者に向けて行ったショーですが、とっても綺麗でしたね。

ースモーキングジャケットを使用したスタイルからスタートしました。ブランドの代表的なアイテムですね。

田居:スモーキングジャケットはタキシードをアレンジしたものです。どうして“スモーキング”という名前が付いているかというと、食後の喫煙をする際に着るガウンから派生してタキシードができあがり、それが発祥になります。

小林:そうですか。それは知りませんでした。

田居:サンローランは晩年になって自分自身でも語っていますが、記者の「自分のなかの代表作は?」という質問に対して「スモーキング」と答えています。メンズのアイテムをウィメンズに取り入れたというのはサンローランの非凡なところですし、女性の生き方にも影響を与えました。

小林:男性的な服を着ると、女性らしさがより際立って見えますね。

ー続いて、こちらはコートのスタイリングです。

小林:これは服の前後で丈の長さが微妙に違うんです。後ろを少し長くしています。本当にわずかな違いですが、しっかりと計算されています。本当に素敵な服で、昔のものなのに現代でも着られると思います。ただひとつ、難点は重いこと。今は軽いコートしか着たくない気分ですものね。

田居:こちらのスカートはイザベル・アジャーニがはいていました。

小林:『サブウェイ』という映画の衣装でした。私の大好きな女優です。スカートが風に舞うところが本当に素敵で、私もミュージックビデオの撮影のときにはきました。大好きな一着です。

小林:このコートは『相続人』という映画を観て、「欲しい!」と思って買ったものです。当時真っ白いPコートはとても珍しかったので。

田居:Pコートは1962年の最初のショーから発表しています。そういう意味では、〈イヴ・サンローラン〉にとってPコートはアイコン的なものです。

小林:たしかPコートは、軍服がルーツでしたね?

田居:そうです。最初はイギリス海軍や漁師の人が着る服としてつくられました。それをモードの世界に持ってきたのが〈イヴ・サンローラン〉の特筆すべきところです。

小林:今はどのメゾンもPコートをつくっています。私も持っているし、ここにいらっしゃるみなさんも一度は袖を通したことがあると思います。〈イヴ・サンローラン〉の服は人を大人っぽく見せてくれるし、本当に品のある女性らしさを際立たせてくれます。

田居:もう定番ですね。ぼくも三着くらい持ってます(笑)。あとはレザーのブルゾンもブランドのアイコンで、ちょっと前だとエディ・スリマン、そして今のアンソニー・ヴァカレロもデザインしています。すごく伝統的なアイテムだと思います。

小林:〈イヴ・サンローラン〉の服は、トラッドであったり、少女っぽいものであったり、いろんなエッセンスが混ざっていますよね。

田居:そうですね、引き出しがすごく豊富です。

ーこちらはトレンチコートを使ったスタイリングです。

小林:このトレンチコートはずいぶん着ました。自然にヴィンテージのような風合いになっていきましたね。それぐらい気に入っていた服です。

田居:ヨーロッパでは、トレンチコートはクタクタになっているほうがクールだっていう感覚があるそうですが、日本では真逆で、パリッと生地に張りがあるものじゃないと売れないそうです。

小林:私は真新しい服は洗濯機に入れたり乾燥機にかけて、わざと風合いを出していました。

小林:このジャケットはとても派手に見えますが、好きなアイテムのひとつです。色違いで2色購入しました。こういうエスニックな柄も〈イヴ・サンローラン〉はよく取り入れていますね。

田居:エスニックは60年代後半から70年代にかけてよく取り上げているテーマです。当時の時代の流れがあって、アジアやアフリカで独立運動が起こっていました。それに対するブランドなりの解釈です。中国をテーマにしたり、日本を取り上げたときもありました。

小林:日本もですか。

田居:そうです。マダム・バタフライからインスピレーションを得た、腰のあたりに着物の帯のようなディテイルを取り入れたドレスをつくったときもありました。エスニックでとくに反響があったのがアマゾネスで、1990年に発表していますが、その名前もそうだし、プリント模様などもすごく印象的でした。

小林:あと、パンツはベルベットですね。私はこの素材が大好きなんです。〈イヴ・サンローラン〉のベルベットは嵩が高くて、他のブランドとは印象が違います。

田居:ぼくもプレタポルテラインの〈イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ〉の茶色いベルベットをはいてました。

小林:おしゃれな男性はみんな買っていましたよね(笑)。

田居:そうそう。ぼくもその仲間入りがしたかったんです(笑)。

小林:これはサファリルック。これも代表ルックのひとつ。各年代で発表していますね。

田居:そうですね。1968年くらいからかな。サファリの帽子を被ったベルーシュカが残したポスターが有名です。あれは男性の服を女性用にアレンジして、なおかつベルトでウェストをキュッと絞ることで、女性のボディラインを綺麗に見せるというアプローチ。本当に上手にメンズアイテムをウィメンズへと昇華させてます。

小林:これは私の大好きなワンピースで、20代の頃の雑誌を見ると、あらゆるところでこの服を着ていました。実は60代になってから『クーネル』という雑誌に出させてもらったときもこの服を着ました。時間が経ってもまったく色褪せない。それは〈イヴ・サンローラン〉のなせる技なのかなと。それこそ真のファッションだと私は思います。

田居:新しいものでないとファッションじゃないという風潮があるけど、そんなことはないですよね。例えばグッチの古い服も今見ると新鮮に映ったりします。そうやってヴィンテージを着ることは、ある意味ではエコに繋がるとも思います。

ー実際にモデルさんが着用することで服がより輝いて見えますね。

田居:サンローランは、女優やモデルさんなど、ミューズと呼ばれる女性たちの動きを見てデザインのヒントを得ていました。こういう風にデザインすると女性がもっと美しく見える、といったように。

小林:なるほど。このブランドの服を着ると、自分が女性であるということを実感させられます。それは、今田居さんが仰ったことが関係しているのかもしれませんね。

田居:例えばジュエリーもそうですが、女性が身につけて美しく見えないと、なんのためにデザインをしているかわからない。服は人に着られて、動くことで美しくみえますから。

小林:人が着てはじめて、服に命が吹き込まれるということですよね。

小林:このワンピースもよく仕事で着ましたね。足元にショートブーツを合わせたりすると、また新鮮に映ります。

田居:サンローランは芸術家に対するオマージュでアートを取り入れた服をよくデザインしていますが、これもおそらくどなたかの絵からインスピレーションを得ていると思いますね。

新しい時代をつくったトピックスの数々。

ー今回、〈イヴ・サンローラン〉のエポックメイキングな出来事を田居さんに教えていただきます。まず、16歳のときにウールマーク主催のデザインコンテストで最優秀賞を受賞しましたね。

田居:サンローランが生まれたのは1938年ですが、子供の頃から妹とお人形遊びをしたり、服をつくったりしていました。彼は中産階級の生まれで、かなり裕福な家庭で育ちましたが、服飾の学校へ行く前にウールマークのコンテストに応募して3位になったんです。

小林:そうなんですね。

田居:それで彼のお母さんは才能を見込んで、パリのオートクチュール協会がやっている学校へ入学させました。入学後にもデザインコンテストに応募して、4部門中3部門で優勝しています。ちなみに、優勝できなかったのはコート部門で、その優勝者はカール・ラガーフェルドでした。その当時からカール・ラガーフェルドとサンローランはライバル関係にあったと言われています。

ー続いて、21歳になるとクリスチャン・ディオールの後継者として抜擢されていますね。

田居:雑誌『VOGUE』のディレクターがサンローランのデザイン画を見て驚いたそうです。クリスチャン・ディオールにそれを見せると、ディオール自身も彼の才能を買って、当時17歳だったサンローランをアシスタントデザイナーとして雇いました。その後、1958年にディオールが他界したときに、その後継者としてサンローランが〈クリスチャン・ディオール〉の看板を背負うことになったんです。そのとき、サンローランはまだ21歳でした。

小林:21歳はまだまだ若いですね。すごい!

田居:そのときの兄弟子にはマルク・ボアン。他にも印象的なデザイナーがオフィスにいましたね。

小林:でも、サンローランがトップに立ってやっていたのは2年くらいでしたよね。

田居:そうです。非常に短い就任でした。彼が就任してすぐに各所から高い評価を得ました。ディオールは亡くなってしまったけれども、フランスの服のカルチャーは死なないと、とある新聞が報じました。まだまだフランスにも優れたデザイナーがいるということがフランス国内で知れ渡りました。

ー昨年、〈クリスチャン・ディオール〉の回顧展がパリで行われましたね。

田居:ぼくも行ってきました。サンローランはもちろん、マルク・ボアン、ジャンフランコ・フェレ、そして現在のマリア・グラツィア・キウリまで、歴代のデザイナーの作品やコンセプト画を展示していました。そのなかでも〈イヴ・サンローラン〉の展示スペースは、みなさんじっくりご覧になられる方が多くて人の流れがすごく遅かったです。ブランドが今でもとても愛されているというのを肌で感じました。

ーこちらが、その回顧展の写真ですね。

田居:7月からはじまって、1月のはじめまで開催されていました。半年で70万人以上が訪れて、そのうちの半分以上が外国人だそうです。

小林:何年か前に銀座の〈クリスチャン・ディオール〉のお店でも展示が行われていましたが、やっぱり実際にこの目で見るのは大切なことですよね。服が放つオーラを感じ取ることができるので。

田居:ファッションの展覧会は日本ではあまり人が集まらないようなんです。美術館を借りるのもなかなか大変なようです。日本で開催された中でいちばん人が集まったのは〈ヴィヴィアン・ウェストウッド〉でした。彼女はファッションを学ぶ学生たちに人気があり、それで集客力があるそうです。

ーニューヨークのメトロポリタン美術館で、存命中にはじめて回顧展を行ったのも〈イヴ・サンローラン〉ですよね。

田居:そうです。80年代、油が乗り切っている時期の開催でした。〈イヴ・サンローラン〉は特にアメリカのマーケットが好調だったというのもあるし、なおかつ70年代からアメリカのポップアートをモチーフにしたコレクションを発表していたこともあったので、開催されたのだと思います。デザイナーが存命中に回顧展が開かれたのは、恐らくサンローランと〈コム・デ・ギャルソン〉の川久保玲さんだけだと思いますね。

ー1998年には、フランスで行われたサッカー・ワールドカップのセレモニーでファッションショーが披露されました。

田居:決勝戦のセレモニーですね。ぼくはちょうど、これが開催される前に〈イヴ・サンローラン〉の特集号を『マリ・クレール』でつくっていまして、このセレモニーに招待いただきましたが、忙しくて行くことができなかったんです。

小林:それはとても残念でしたね。

田居:テレビでも放映されて、世界中の何億人という人がブランドのショーを見たわけです。要するに、ファッションに興味がない人でも〈イヴ・サンローラン〉の服がどういうものなのかを知ることができた。そんなことは普通のファッションブランドではあり得ないことでした。

小林:さすがフランスですね。

イヴ・サンローランがすごい理由。

ー続いて、イヴ・サンローランがどうしてすごいのか? その理由を田居さんに挙げてもらいましょう。まず、〈イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ〉を立ち上げたということですが。

田居:1966年にサンローランは〈イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ〉を立ち上げましたが、60年代は世界的にも時代が大きく変わった時期でもあります。ビートルズが出てきたり、〈マリークヮント〉のミニスカートをはいてツィギーが登場したり。それまでオートクチュールが主流だった時代に、サンローランは「億万長者のための服なんてどうでもいい」と語っていて、それとは違う人たちのために服づくりをはじめるんです。“リヴ・ゴーシュ”というのは左岸という意味で、つまりパリのセーヌ川の南側の地区のことなんです。

小林:ブルジョワが住むのとは違うエリアですよね。

田居:そうですね。そういう意味でその名前をつけて、ファッションの大衆化というと語弊があるかもしれないですが、もっと広い範囲でのファッションの発展を目指したわけです。オートクチュールをやっていた人の中でプレタポルテをはじめたのはサンローランがはじめてでした。先見の明があったというか、時代の先を読んでいたような気がします。パスカル・グレゴリーという有名な役者がいますが、その方と食事の席で一緒になったことがあります。実はサンローラン自身が彼の大ファンで、彼の舞台の日にはバラの花束が何十本も届けられたそうです。それで彼との食事のときに「なぜサンローランは偉大なのか?」という話になって、ぼくが〈イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ〉のことを話したら、彼は納得していました。同意見だ、と。

小林:でも、今は〈サンローラン〉という名前だけになっていますよね。“リヴ・ゴーシュ”という名前は亡くなってしまっている。

田居:株を公開したのも〈サンローラン〉が初めてで、1989年のことですが、そのときにリヴ・ゴーシュや化粧品の部門が買収されてしまったんです。

小林:大人の事情があるわけですね。

田居:ただ、以前デザイナーを務めていたエディ・スリマンは、リヴ・ゴーシュのときのサンローランのロゴに戻しました。彼はサンローランに対するリスペクトの念を持っていて、今のアンソニー・バカレロもそうですが、サンローランがつくり上げたアイテムを今の時代に合わせてアップデートしています。そういったところが素敵だなと思いますね。

小林:私もエディがやっていた頃のメンズが大好きで、パンツを持っていました。すごく奇抜なデザインで、誰がはくのかしら? と思うようなものでしたが、とても気に入ってました。欲しいアイテムがメンズにはたくさんありました。

田居:エディ・スリマンがその名を轟かせるようになったのは、彼が〈ディオール オム〉のクリエイティブディレクターを務めていたときでした。それ以前に彼は(当時低迷していた)〈イヴ・サンローラン〉のメンズラインの服をつくり、実績を評価されました。

小林:そうなんですね。

田居:それをきっかけに彼は〈ディオール オム〉に行き、再び〈サンローラン〉に戻ってきました。なので彼と〈サンローラン〉はとても縁があると思います。

ファッションで女性に自信と強さを与える。

ー続いて、アートをファッションに取り入れたこともサンローランが偉大であることのひとつだと田居さんは仰っています。

田居:ピエト・モンドリアンというオランダの画家がいますが、彼のアートを全面的に取り入れたコレクションを〈イヴ・サンローラン〉は発表しています。ジャージ素材の服に彼の作品を取り入れたりしていましたね。

小林:アートモチーフをジャージ素材で使うというのが新鮮ですね。

田居:それが1965年くらいだったと思いますが、このモンドリアンルックによって大喝采を浴びました。プレタポルテとはこういうものなんだ! というのを世に知らしめたという意味ですばらしい人だなと思います。

ー他のアーティストもフィーチャーしていますよね。

田居:アンリ・マティスやピカソ、アンディー・ウォーホルもそうです。純粋にファインアートとファッションを結びつけるのが上手ですね。

ー続いて、先ほどもお話がありましたが、メンズ由来の服を女性が着られるようにしたのもサンローランのすごいところですね。

田居:スモーキングジャケット、サファリルック、パンツスーツですね。これによって女性が自信を持って美しく生きられるようになりました。特にパンツスーツですが、その頃は女性がパンツスタイルでいることはまだタブー視されていました。そんな時代を切り開いて、特にアメリカで大ブレイクするんですね。世界一のマーケットです。これは余談ですが、とあるアメリカのブランドがダブルのスーツを発表したとき、サンローランがそれを訴えました。

小林:そうなんですか?

田居:そのときサンローランは勝訴しています。アメリカにおいて、それだけ〈イヴ・サンローラン〉のパンツスーツは勢いがあったということですね。恐らくサンローラン本人が訴えたのではなく、パートナーのピエール・ベルジェによることだと思いますが。

ー次の偉大なポイントは、いち早くダイバーシティをランウェイに取り込んだこと、ということですが。

田居:コレクションで有色人種がはじめてキャットウォークを歩いたのは、サンローランの力だと思います。

小林:いまや当たり前のことですが、昔は違ったんですね。

田居:当たり前といえば、当時ファッション雑誌ではまだ表紙に有色人種を起用しておらず、ナオミ・キャンベルがサンローランに訴えかけたんです。それでサンローランはその雑誌に抗議をして、「もし差別するなら、私はもう広告を出さない」という話をしたそうです。それではじめて、ナオミ・キャンベルが雑誌の表紙に起用されることになりました。サンローランが生まれたのはアフリカのアルジェリアなんです。もしかしたら、彼が生まれていたのがヨーロッパだったら、白人至上主義になっていたかもしれない。でも、そういう背景があったからこそ、サンローランはフラットなマインドを持っていて、多様性を受け入れたのではないかと思います。

ーサンローランの言葉に「わたしは現代女性のワードローブを創造し、時代を変革する流れに参加したのです。うぬぼれるようですが、わたしは昔から固く信じていました。ファッションは女性を美しく見せるだけではなく、女性の不安を取り除き、自信と自分を主張する強さを与えるものです」(ドキュメンタリー映画『イヴ・サンローラン』より)というものがあります。

小林:素敵な言葉ですね。

田居:思想ではなくファッションを通して、サンローランは女性の社会進出に力を貸したのではないかと思いますね。

小林:このブランドの服は、女性が女性であることを意識できる、そんな感じがとてもします。

田居:お母さんの影響をとても受けているんです。大変美しく、教養のある方だったようで、彼がまだ幼い頃からお芝居に連れていったりしていたようです。

小林:幼少期の教育がいかに大切かということですね。

ー〈イヴ・サンローラン〉の服は日本にも比較的早く入ってきて、「キャンティー」というお店の川添さんが仕入れていたようですね。

田居:たしか日本に〈イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ〉が入ってきたのが1971年頃だったと思います。

小林:川添さんと柴田さんという方が仕入れていましたね。

田居:日本で有名な〈アルファキュービック〉の創始者 柴田良三さんですね。「キャンティー」は飲食店ですが、当時としてはユニークなつくりで、コンクリート打ちっ放しのお店でした。黒と赤のガラスも印象的で。

小林:あと「ベビードール」ですね。ここで服を扱っていました。そのお店は飯倉片町にありましたが、私が中学1年生のときに、その近くに友達が住んでいて、よく学校の帰りに制服を着てドキドキしながらのぞいていました。当時の六本木はなにもなくて、そんな場所にポツンとこのお店がありました。私は「ジュリーがいるかな??」なんて思いながら、反対側の道路から憧れるようにお店を眺めるだけでした。

田居:一階が「ベビードール」で、その上と下が「キャンティー」でしたね。ぼくは高校生くらいでしたが、靴下を買ってました。

小林:私はその数年後に「ベビードール」へ行けるようになりました。おしゃれなお店でしたね。

田居:ショップというより、サロンといったほうが正しいかもしれません。

小林:一見さんは入るのにとても勇気がいるお店でした。

田居:ぼくが覚えているのは、スパゲッティのバジリコをはじめて食べたのが「キャンティー」でした。バジリコとコーラで4500円くらいだったかな。

小林:今の物価では考えられないですね。でも、そんな時代でしたね。憧れがあって、上へ上へと向かっていたような気がします。

田居:ぼくは当時、こういう仕事をするとは思っていませんでしたが、〈カルティエ〉っていうブランド名を知ったのもあのお店だし。パリのカルチャーがあそこにありましたね。サンローランが来日したときも、ここでご飯を食べたらしいですよ。

数ある代表ルックとその背景。

ー続いて、〈イヴ・サンローラン〉の代表的なルックについて話していただこうと思います。先ほどスモーキングジャケット、サファリルック、モンドリアンルックについてのお話がありましたが、それに加えてエスニックの要素を取り入れたスタイルも打ち出しています。

田居:彼はアルジェリアで生まれたという話がありましたが、彼は本当によく旅をしていたそうです。アジアやアフリカですね。自身のコレクションの発表が終わると、アルジェリアのオランというところにお母さんがいるので、よく会いに行っていたそうです。後にアフリカで独立運動が過激化すると、家族をパリまで連れて帰ります。あとは、モロッコのマラケシュに別荘を建てたりしていました。

小林:私も写真で見たことありますが、マラケシュの別荘は本当に素敵ですね。

田居:そういうこともあって、いろんな要素を取り入れることに抵抗がなかったんですね。いろんな国のエスニックな要素が身近な文化としてあったから。色使いも素晴らしいですよね。

小林:極彩色だけど品があって、素敵です。

クリスチャン・ディオールとピエール・ベルジェ。

ー続きまして、サンローランが影響を受けた人についての話をしたいのですが、まずひとり目がクリスチャン・ディオールですね。

田居:サンローランは大体いつもスーツを着ていて、仕事場にいるときは白いガウンのようなものを羽織っていますが、それは完全にディオールの仕事場でのスタイルなんです。いろんな部分で彼の影響を受けて、尊敬していたようです。

ーもうひとり欠かせないのが、ビジネスパートナーのピエール・ベルジェですよね。

田居:ピエール・ベルジェ氏はビジネスマンで、サンローランと彼が知り合ったのは、1958年に手掛けた〈クリスチャン・ディオール〉のコレクションのときです。でも、実はその前に彼らは顔を合わせていました。それがディオールのお葬式のとき。棺を運ぶ際に、棺を挟むような形でふたりは同じ場に居合わせたそうです。

小林:当時ふたりはお互いのことを認知していませんでしたよね? すごい縁ですね

田居:出会うべくして出会った感じがしますね。

小林:サンローランが亡くなった後も、ベルジェさんは潔かったですね。彼の映画で観ましたが、サンローランの美術品などをオークションに出して。最後にパリの街に消えて行くシーンは最高でした。素晴らしいパートナーだったんですね。

田居:今のデザイナーは美的感覚に加えてビジネスの才覚を持っている人もたくさんいます。でもサンローランが全盛の時代は、デザイナーがビジネス面まで把握するというのは大変で、だからこそベルジェという人が必要だった。ベルジェ自身もサンローランのことを一生サポートし続けた。むしろ、死後もサポートしていますね。昨年はサンローランの美術館をつくっていますし。本当に素晴らしい愛です。

小林さんが〈イヴ・サンローラン〉のヴィンテージを寄贈した理由。

ーでは最後に、小林さんがヴィンテージを寄贈してくださった理由を改めてお話いただけますでしょうか。

小林:私は18歳の頃からずっと〈イヴ・サンローラン〉の服を買い続けていて、お給料のほとんどを費やすくらい好きでした。結婚をしてからは仕事を辞めて、それ以来ほぼ着る機会がなくて、ずっと実家に置きっぱなしになっていました。私にとって特別ということもあって、処分する気にもなりませんでした。

そんなとき、ある方にそのことを相談したら、「この財団に寄贈したらどうですか?」と言われて、それはいいかもしれないと思いました。古い家の片隅で日の目を浴びずにいた服が、こうしてみなさんに見ていただけて、なおかつデザイナーさんのために役立つなら、服も本望だろうと思いました。だから、それが理由です。服をお嫁に出した気分です(笑)。機会があったら是非ここへいらして欲しいです。写真などではなくて、実際に手にとってみると、服が持つ力を感じ取ってもらえると思います。

小林麻美

公益法人日本服飾文化振興財団評議員。1970年代からモデル、歌手、女優として活躍。資生堂やパルコのCM、ヒット曲「雨音はショパンの調べ」などで、スタイリッシュな女性の代表格的存在となる。
1991年結婚を機に引退。2016年『kunel』で25年ぶりに表紙を飾る。

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